法人化(会社設立までの動き)
 
2010年3月31日 定款完成行政書士立会いの下、吉田氏と3名で判子を押し
事実上会社設立に向けて動き出す。ゴム印到着。
予定通り、4月1日法人化「アジアンフーズ株式会社」設立
2010年3月30日 個人の実印が届き、印鑑証明を発行。設立準備整う
吉田役員、クッキングサロンの撮影を開始。
土倉社員、クッキングサロンの研修を開始。
2009年3月29日 役員3名と土倉社員の合計4名で海外研修を5月9日から行うことが
決定。店内改装とあわせ、5月9日から23日まで臨時休業することに
2010年3月26日 会社の実印に続いて個人の実印を発注。
ネットショップの目玉となる真空包装機を発注。
行政書士さんより、準備が整った旨の連絡を受ける
2010年3月24日 行政書士さんの指導の下、会社定款を始めとする各種資料を作成
2010年3月23日 行政書士事務所に向かい、会社設立の打ち合わせ。
半年前から経営相談を続けるも、出資者吉田氏の出現等もあり、
新規の融資を行わないことに。(リスク回避)
吉田氏を新法人の役員に受け入れることを決定
食材物件は、法人化が落ち着いた翌年以降に持ち越すこととし、
改装とネットショップ立ち上げを優先手金することに
土倉氏は当面研修という立場で店のホールを依頼することに。
2010年3月17日 情報収集の対象が物件から法人設立へ変更。
2010年3月16日 諸事情により物件を断念することに。
審査が異常に厳しく、トラブルの原因になりかねないとの判断と同時に、
個人商店の限界を痛烈に感じ、法人設立を決意する。
2010年3月14日 新しいレンタルサーバーを確保。
前店舗からのドメインBEER-BEARをアジアンフーズに変更
2010年3月11日 物件仮申し込み
2010年3月10日 ランチ営業を休止し、物件調査。
官庁街の近くにあり、強い可能性を感じる
規模からして弁当だけでなく食材屋さんという新しい選択肢
が浮かび上がる。
2010年3月9日 確定申告書類提出後、経営相談の前に通った不動産屋さん
で面白い物件を発見する。
2010年2月25日 店の取材を受ける。(夜ごはん特集の本)
2010年2月22日 弁当物件の可能性を見るため北船場を調査
長い付き合いの方から出資の話が進み、動きが活発化
2010年2月17日 険悪だった斜め前の店と手打ち。隣の新しい入居者から挨拶
大人の対応に、諦めかけていた路地に明るい見通しが広がる
2010年2月14日 斜め前の店菜オープン。心配していたバカ騒ぎは限定的に
代わりに、こちらにも来客が・・・かつての路地相乗効果復活か!
2010年2月11日 下水工事再び。夕方には完全に終了する。
2010年2月9日 ふとしたことから堂島浜に弁当物件を発見。先を越されたものの
ミニ2号店の可能性を探ることに。(K氏こと土倉氏に任せる物件)
物件情報収集開始へ。
2010年2月7日 下水工事本格化、ついに詰まりの元が取れ、下水正常化が確定
しかしなぜか斜め前の店も同時に改装工事を開始。
路地が混乱することに。
2010年2月3日 下水工事開始。
日々の状況から移転より改装案を重視する方向に変更。
2010年1月30日 隣にあった不要な棚類をすべて撤去。店内の洗浄も行い
綺麗な状況になり路地の見通しもよくなる
2010年1月25日 当店家主、単独での下水修理を約束。
事情を把握した、不動産屋や隣らの家主らもこれに同調。
路地下水修理を1月末から始めることが決定する。
(3重苦の解消へ)
2010年1月18日 隣に新しい入居者候補を不動産屋が連れてくるので
下水問題についてのクレームで一悶着。
ネットに掲載している業者にもクレームをつける。
2010年1月13日 隣完全撤退。停滞していた下水問題を再度交渉することに。
2010年1月11日
〜12日
東京移転の可能性について調査出張。
田町・芝浦、阿佐ヶ谷、新橋辺りに有力な場所・可能性を
感じて戻る。不動産屋さんにも2軒立ち寄る(本気度アピール)
2010年1月4日 斜め前の店が撤退という未確認情報。隣は未だ存在(店は閉店)
下水の使用量激減し、汲み取り作業を行う頻度が急激に下がる
(10日に1度程度に)
2010年1月1日 元旦に宮島へ。連絡船から見る大鳥居と、
まばゆい日の光に、この年の飛躍を強く予感する。
2009年12月 東京移転の可能性を探るため、1月に東京へ移転への可能性
を探ることを決定する。
ダンボール山積み・露骨な嫌がらせを続けていた隣が年内で
撤退することが判明。翌年が明るくなる予感を感じる。
2009年11月 初の海外グルメツアー開催(ベトナムホーチミン)
ツアー中に上本町物件の可能性を探ったが、これも規模が
大きいという理由で、断念。方向性について年内凍結へ。
2009年10月 帝国ホテル横の商業施設OAPへのレストラン街の出店依頼
検討をするものの、施設への可能性と規模の大きさに断念
代わりに見つけた上本町の一棟物件も検討対象に
また、K氏をスタッフに迎え入れることを決める(物件の店長候補)。
2009年9月 2回目のタイフェスティバル出店。奈良のタイ料理店と共同出店
ここでもK氏大活躍する。
また、東京のベトナムフェスティバルに知り合いのお店に
応援に行き、当店のファンの多さに東京移転への可能性を
強く感じる。
2009年8月 経営相談の席で、融資の話を聞く。
改装案を考えるも、3重苦の現状でどこまで可能か・・・・
2009年6月 名古屋出張で、タイ料理界の権威と面会・セミナー受講
事前の料理教室でも指導を受け、大阪のタイ人脈
が格段に増える。
2009年5月 アジアごはんリニューアル後初めての海外研修。
集中力の違いから得るもののレベルが今までと大きく異なる。
料理講師としてのTVの出演を果たし、料理教室の参加者に加え
店のほうの集客も急増する
2009年2月 日々のバカ騒ぎや下水汲み取りという苦難の日々で、
路地奥への限界、見切りを考え移転を検討。
元気の違う東京移転を視野に入れる。
ティーソーンプロジェクトブログ開始
京都にて、タイ語教室に参加する。(2ヶ月ほど)
2008年12月 路地修理の話し合いつかず、下水汲み取り作業開始。
以降2009年一年間週2・3回行う。
2008年11月 斜め前の新しい店、150人動員し、朝までバカ騒ぎに続き、
路地下水崩壊(老朽化)による水はけの劣化、
さらに、衰退し始めていた隣が息を吹き返し、
調子乗って路地を覆う巨大看板を作り、路地奥3重苦が始まる
2008年10月 タイフェスティバルでの効果が絶大来客数が急増。
2008年8・9月 メニューのてこ入れを行いながら、3つのイベント
・アジア太平洋フェスティバル
・タイフェスティバル大阪
・ベトナムフェスティバル東京

に立て続けに出店。(K氏大活躍)
2008年5・6月 気になるタイ料理店をもっと調べるために企画を
業界誌に提出し、了承を得たので取材のため
2度東京へ。ここでその店を始め強力な
チェーン店を垣間見ることが出来、アジア料理店
への強い可能性を感じる。
2008年2月 おぐしみきアジアンクッキングサロン開始
2008年1月 アジア料理店としての勉強のため東京へ
一等地で、非常に気になるタイ料理店を発見。
2007年8月 アジアごはん麦酒食堂としてリニューアルオープン


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